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水戸家庭裁判所 昭和44年(家)717号 審判

申立人 相川道子(仮名) 昭三八・三・九生

右法定代理人親権者母 相川裕子(仮名)

相手方 山口君夫(仮名)

主文

相手方は申立人に対し、

(一)  金一〇五、〇〇〇円を直ちに

(二)  昭和四六年一月より昭和五〇年三月まで金五、〇〇〇円ずつを毎月末日限り

それぞれ申立人住所に送金して支払うこと。

理由

一  申立代理人は、「相手方は申立人に対し昭和四三年三月一三日より昭和五〇年三月三一日まで金一万五、〇〇〇円ずつ、昭和五〇年四月一日より昭和五三年三月三一日まで金二万円ずつ、昭和五三年四月一日より昭和五六年三月三一日まで金二万五、〇〇〇円ずつ、昭和五六年四月一日より昭和六〇年三月三一日まで金三万円ずつをいずれも毎月二三日限り申立人住所に送金して支払え。」との審判を求め、その申立の理由として、「申立人の母相川裕子と相手方とは昭和三七年六月七日婚姻による届出を了し、申立人は両者の子として昭和三八年三月九日出生した。ところが、申立人の父母は昭和四三年三月一二日裁判上の離婚をし、母裕子が申立人の親権者となり、監護養育している。相手方は上記裁判確定後申立人の扶養料を全く支払わず、申立人は母裕子とともに同人の実家に寄寓し、その父母相川恒夫夫婦の援助によつてやつと生活を維持している。しかして、申立人の一ヵ月の純生活費は一、幼稚園月謝教材費三、二九二円、二、絵本および数育玩具一、二〇〇円、三、けい古諸費用三、〇〇〇円、四、主食六、〇〇〇円、五、果物三、〇〇〇円、六、牛乳一、三三四円、七、菓子三、〇〇〇円、八、衣服二、〇〇〇円、九、医薬品一、五〇〇円合計金二万四、三二六円(ただし住居、光熱費等は含んでいない)であるが、申立人は上記裁判の確定した日の翌日である昭和四三年三月一三日より小学校を卒業する昭和五〇年三月三一日まで金一万五、〇〇〇円、中学校に入学する昭和五〇年四月一日より卒業する昭和五三年三月三一日まで金二万円、高校に入学する昭和五三年四月一日から卒業する昭和五六年三月三一日まで金二万五、〇〇〇円、大学に入学する昭和五六年四月一日より卒業する昭和六〇年三月三一日まで金三万円ずつを、いずれも毎月二三日限り申立人住所に送金して支払う旨の審判を求める」と述べた。

二  当裁判所が取調べたところによると以下の事実が認められる。

申立人の母裕子は昭和三七年六月七日相手方との婚姻届を了し、相手方との間に昭和三八年三月九日申立人を儲けた。ところが、裕子と相手方とは夫婦仲が悪く、昭和三九年に入つてからはことごとに対立するようになり、同年二月相手方が茨城県○○市○○所在○○○○○○○学校に転勤の内示があつてからは両者の間柄は破綻に瀕し、昭和四一年二月頃相手方は裕子に対する離婚訴訟を提起し、同人も相手方に対する離婚の反訴を提起するに至つたが、昭和四三年三月一二日離婚の判決が確定した。

このような破局に立至つたについては裕子の母相川夏子の不当な干渉と家庭内の問題につき夫である相手方と協議することを第一とせず、たやすく実家に縋つて処理しようとした裕子にもその責に帰すべき事由があつたのであるが、結婚生活に対する理解と熱意を欠き、不明朗、不用意な言動により裕子をして相手方に対する不信の念を抱かしめた相手方にも、その責に帰すべき事由があり、その間明確な差等軽重をもうけることは困難である。

そして、裕子は相手方との別居中の婚姻費用の分担を求め、昭和四二年九月一二日東京高等裁判所(抗告審)において相手方は裕子に対し婚姻費用として昭和三九年三月一九日より昭和四一年一二月三一日までの分合計金八〇万八、五〇〇円、昭和四二年一月一日より離婚成立または同居に至るまで毎月二三日限り金二万八、三〇〇円ずつを支払うべき旨の決定がなされて確定し、相手方はその決定どおりの婚姻費用(申立人と裕子の生活費)を支払つたが、離婚の裁判が確定した日の翌日である昭和四三年三月一三日以降は申立人に対し、何等扶養料を支払つていない。

なお、上記離婚の裁判においては、相手方は裕子に対し慰謝料金七〇万円の支払を命ぜられ、また、裕子は申立人の親権者に指定されたのであるが、相手方は上記金員の支払を全部完了し、また、裕子は相手方との別居以来申立人とともにその住所地の父相川恒夫方に寄寓し、申立人の親権者として同人を監護養育し、現在に至つている。

三  ところで、未成熟の子に対する父母の扶養義務は血族である親子関係そのものから生ずるもので、いわゆる生活保持義務であるから、子に対する親権の帰属や両親のいずれが監護養育しているかということとは別個に、扶養の必要度、両親の資力、生活状態、社会的地位その他一切の事情を斟酌して、扶養の順位、程度、方法を定めるべきものと考えるが、いわゆる生活保持義務は子の生活を維持することが同時に自己の生活を維持することになるという親子の本質的なあり方と必然的共同生活性を基礎として認められるものであることおよび生活保護法に基づき各人に最低生活水準を確保させようとする公的扶助制度の存在していることを考えると、離婚により子と共同生活をしなくなつた親については自己の生活を最低生活費以下に引き下げてまで子の扶養料を分担すべきことを期待できないと考えられるし、殊にその親が新たな妻子等と共同生活を営み、これについて生活保持の義務を負つている場合にはなおさら、現在の共同生活に必要な最低生活費を切りつめてまで他の生活体にある未成熟子の扶助を要求することは酷に失し、期待できないものといわなければならない。

四  そこで、申立人の生活費について考えるに、申立人の母裕子の審問の結果と同人提出にかかる諸経費内訳表(一)、(二)によれば、申立人が小学校に入学した昭和四四年四月より同年一一月までの一ヵ月平均生活費は、(イ)学校関係納付額二、二九〇円(ただし九月分は計算の対象とせず)(ロ)学用品代二、八九五円、(ハ)衣料費二、六三〇円(ただし、九、一〇月分は計算の対象とせず、)また一一月分より通常の必要生活費と認められない七五三の洋服代八、五〇〇円を除く、(ニ)食料費一万一、一六三円(これは九月から一一月までの主食、牛乳代および一一月のおやつ代を基礎にして算出したもの)、(ホ)医薬費一、八三二円、(ヘ)交通費三二〇円であり(以上いずれも円未満四捨五入以下同じ。)合計金二万一、一三〇円となるところ、株式会社○○○○調査部発行「○○月報」一五三号による東京都における小学生の養育費が一ヵ月平均金一万九、九七〇円であることを参考にして考察すれば、申立人の生活に要すべき費用は金二万円程度をもつて相当と認める。

五  当裁判所の取調べたところによると、申立人の母裕子の資力等つぎの事実が認められる。

申立人の母裕子は前記の如く、その父母の許に寄寓し、職業に就くことなく、専ら家事に従事していて、特段の収入を得ていないが、短期大学を卒業して心身とも健全であり、申立人も小学校二年生であり、実家には父母も同居していることを考えると、申立人がやや病弱であるとは言え裕子は十分稼働能力を有し、相当の収入をあげうべき状態にある。また、裕子の父は老齢であるが、数軒の家作その他相当の資産を有しているので、その援助も相当程度期待でき、また、裕子は近い将来において、相続等による財産の取得も考えられないではない。

六  他面、当裁判所の取調べの結果によれば、相手方の資力等に関しつぎの事実が認められる。

相手方は現在茨城県○○市○○○○○○○○○学校に○○○○として勤務し、昭和四四年度において、毎月七万円位(手取り額)年度額合計金一二〇万五、二一二円(手取り額)を支給され、昭和四五年度にはこれをやや上回る収入を得ているが、昭和四五年一月村上京子と結婚し、同年四月一三日婚姻届を了し、間借(賃料一ヵ月金五、〇〇〇円)をして生活を共にし、互いに子の出生を待ち望んでいる。また、相手方はその母ふじを扶養し、毎月金五、〇〇〇円ずつを生活費として送金し、さらに裕子に対する慰謝料として、弟照夫から借りた金七〇万円等の借財に対する返済金として毎月金一万円を送金している。なお、別に相手方は勤務先等よりの借財もあり、勤務先よりの借財九万円(妻京子との結婚費用)に対しては、昭和四五年一月より一八回にわたつて毎月金五、〇〇〇円ずつを分割返済し、昭和四六年六月が最終返済期限となつている。もつとも、相手方にはその所有名義となつている東京都港区○○○△丁目○○○番地所在木造瓦葺平家建居宅八一・七九平方メートルがあるが、これは、相手方の妹立山高子よりの借財三二〇万円に対する担保の趣旨で、昭和四三年一〇月二四日受付をもつて条件付所有権移転仮登記がなされており、右債務不履行の場合は代物弁済として立山高子に所有権が移転することになつており、相手方の資力に徴すると、そのような事態に立至ることも予想されないではなく、上記建物の実質的所有権はむしろ妹に存するに等しく、同建物からの収益は期待しうべくもなく、さらに、東京都港区○○○△丁目○○番の○宅地一一・三〇坪についても、相手方の弟山日照夫に対する上記借財等のため昭和四二年三月一六日付をもつて所有権移転仮登記がなされているのみならず、相手方の債権者である申立外原信一よりの申立により昭和四三年四月一六日強制競売開始決定がなされ、相手方はその所有権を喪失するに至る虞れが極めて大きい。そして、以上のような状態よりして、相手方の資産収入としては前記の俸給のみであつて、その幹部○○○としての最低生活を維持するためには、その俸給からようやく毎月金五、〇〇〇円を残すのみである。

七  以上認定のような諸事情に照らして考えると、申立人に対する相手方の扶養義務は、前記三のような見解からして、現在の段階においては、申立人が小学校に入学した昭和四四年四月より小学校を卒業する昭和五〇年三月までの間の毎月金五、〇〇〇円ずつの扶養料の支払をなすに止めるべく、従つて、相手方は申立人に対し、既に支払期を経過した昭和四四年四月より昭和四五年一二月までの二一ヵ月分合計金一〇万五、〇〇〇円を即時に、昭和四六年一月より昭和五〇年三月までの分として毎月末日限り金五、〇〇〇円ずつを申立人住所に送金して支払うのが相当である。

そしてそれ以後の扶養料については、申立人やその母裕子および相手方における事情の変更が予想されるので、さらに、別途当事者間で協議するのが相当である(なお、相手方は申立人の引取扶養を希望しているが、申立人の年齢、病弱なことその他の事情を考慮すると、少なくとも、現在の段階では引取扶養が適当であるとは認められない)。

よつて、主文のとおり審判する。

(家事審判官 太田昭雄)

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